願書は誰が書くか~慶應願書の記入者欄について~

慶應の願書には、幼稚舎も横浜初等部も「記入者氏名欄」があることから、
「願書は父親と母親のどちらが書くべきか」というご質問を頂戴しました。

もちろん願書はどちらか一人だけが考えるものではなく、
ご両親でよく話し合い、考えを深め合って二人で作り上げるものです。
家庭の願書なのであって、父親、母親どちらかの願書なのではありません。

でも、慶應は「誰が書きましたか?」と聞いている。
なんで?

学校側の意図としては、文中の「私は」が父親なのか母親なのか、
主語の主をはっきりしてほしいということでしょう。
願書では通常「私どもは」を主語にしますが、
慶應はお題本があるので、それを読んだのは誰なのか、
誰がそう感じたのかを明確にする趣旨と理解できます。

そして、この欄に名前を書いた人が願書を記入することになります。
父親の名前の方が箔が付きそうだけど、
ママの方が字がキレイだから書いて、はルールとして正しくありません。


さて、願書はどちらが書くべきかという話に戻ると、
巷ではお父さま有利の意見が多いようです。

中には「お父さまが書かないと受からない」などと

指導する教室もあるそうですね。


理路整然としていて、論点明瞭、体裁もばっちり。
社会の第一線で活躍するお父さま方は
当然フォーマルな文章をお書きになる機会も多く
慣れていらっしゃることでしょう。

でも、子どもの顔が見えてこない願書が多いことも事実です。
上手過ぎて卒なく無難、誰にでも当てはまりそう。
文章のキレが良すぎて冷たい印象だったり、
美辞麗句の羅列が頭に入ってこなかったり。

それに比べて、お母さまの書かれた願書は
構成がでたらめだったり、話が行き交って堂々巡ったり、
主語と述語が対応していなかったり、
表現が回りくどくて無駄に文字数を使っていたり・・・(失礼m(__)m)

でも、我が子を思う強い気持ち、献身的な愛情に満ち溢れ、
私も一人の親として感動し、涙が出ることも少なくありません。
それこそが「素晴らしい願書」と言えるのです。

願書は体裁の完璧さを競うものではありません。
(最終的にはもちろん完璧に仕上げますが)
てにをはが多少違っていようとも、学校の琴線に触れる、
人を感動させる願書であることの方がずっと大切。

願書提出までまだもう少し時間があります。
人の心を打つ熱い思いのこもった願書に仕上がっているかどうか、
今一度読み返していただきたいと願います。

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2020年08月27日